森の達人01 野遊び研究家・山崎春人さん

2011年6月15日

NPO法人日本森林ボランティア協会理事で野遊び研究家の山崎春人さんと、木材コーディネーター能口秀一の対談。 2010年10月23日に、兵庫県丹波市にて収録しました。

 
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山崎春人(やまざきはると)野遊び研究家、関西学院大学講師、

森林インストラクターとして日本森林ボランティア協会の設立に関わり、現在同協会理事。四季の移ろいを感じられる生活を求めて2002年に西宮市から丹波市へ移住。ファミリーアウトドアクラブ「マリオクラブ」主宰。



森と関わりながら生きる

能口:今日は、森の達人ワークショップということで、山崎春人さんに来て頂きました。

森の達人ワークショップは、森に関していろいろな方面から活動されている「森の達人」と一緒に森に入ったり、お話を伺うことなどにより、様々な森の魅力を皆さんお届けしようというものです。

今日は森を食べるイベント、「山の幸コレクション」ということで、皆さんも山崎さんと一緒に朝から山を歩いて、森の植物についてなど、いろいろなことを山崎さんに教えて頂いたと思います。

山崎さんがされている活動について、少しお話いただけますか。

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山崎:生活の主なところでは、大学の非常勤講師などをしていまして、専門は幼児教育です。森のことに関わったのは、私が社会教育に携わっていた頃に子供たちをキャンプに連れて行ったり、野外活動をずっとやってましたので、その頃からです。

そういうものが高じて、現在は日本森林ボランティア協会という、ボランティアで森の手入れをする、というような団体を立ち上げてます。

私は、森と関わりながら生きていたいと思ってました。それはなんでかと言うと好きだからです。単純に楽しいから。今日も一緒に森に入りましたが、森は恵みだらけだと思ってまして、年中、季節季節でそれを追いかけてます。

それと、私は幼児教育でも体育が専門なのですが、今どうしても人間は頭でっかちになっているので、もうちょっと体で生きるってことが大事かなと思っています。

ボランティアで山に入って皆さんがおっしゃるのは、「山入ったあとはビールがうまい」とか「ご飯おいしい」。それは体を使っているからですよね。そういうことから、だんだん今の社会が離れって行ってしまっている。どこかで体を使わないと人間って満足できないよね、というようなことを森林ボランティアをやって余計に感じるようになりました。

私達の森林ボランティア協会というのは、「月に一度は山仕事」が合言葉です。会員の皆さんには「月に最低一回は山仕事においでよ」と言っています。ご飯はおいしいし、お酒もおいしいし、「こんなエエことないよ」と。

森の効用っていろいろあると思うんですけど、森にいると健康になる、っていうのがあると思いますんで、まあ、そんなことを自分でもやっていきたいということで森に関わるようになってきました。

また、「森を食べる」ということですが、「食べる」っていうことは人間にとって一番の楽しみですし、教育の上で大切なことです。

森へ入るときも、「これ食べられるで」ということがあると、子供達もどんどん森へ入ってくれる。最初「えー、こんなん食えるの」と言っていても、食べてみると「えっ、おいしいやん」ていうことになるわけ。そういうことを子供達と共有したいし、森好きの子供をいっぱいつくりたいというようなことも思っています。


能口:昔は森が暮しの中で活用されていました。里山から薪を採って燃料にしたり、炭にしたり。森がすごく身近にあって、森を活用して生活が成り立っていた、というのがあると思うんんですが、今は森に関係を持って暮らしている人の割合というのが非常に少なくなってしまって、森は身近なものとしてはとらえられていないですよね。


山崎:山へ入らないですよね、誰も。元々は日常的に山に入っていたと思うんですけれども。

丹波の場合で見ると、丹波ってわりと豊かなんですよね。雪もそんなにたくさんは降らないし、野菜もそこそこ採れる、米もよく出来る。そういう中では、山からあまり林産物を採ってこなくても、生活は割と楽に出来てた。

そういう意味では、東北なんかと違って山菜文化やきのこ文化というものが、あまりないかもしれない。丹波の皆さんが山に入るっていうのは、マツタケ採りに山に入るくらいで、それ以外のキノコはあまり目に入らない、ということがあると思います。東北などへ行くと、いろいろな山菜、キノコを食べますよね。


能口:いつの時代も森との関わりは暮しと関係しているわけですよね。やはり生活から離れてしまうと、森へ入ることはなくなるだろうし、その必要性がない。しかし、視点を変えると、今の生活ということではなくて、50年、100年先を見据えたときに環境がどうなっていくのか、ということを考える人たちが多く出てきた時代になっていると思います。そのような中で森の価値、森への評価が変わっていく思いますが、その辺りについて、森林ボランティアの活動の大きな流れなども含めてお話し頂きたいのですが。


山崎:例えば地球温暖化がいろいろ問題になった時に、山をもうちょっと見直そう、というのがあったと思います。いま面白いのは、手入れしていない山は二酸化炭素の吸収に換算しないが、手入れされていればある程度カウントできるようになる、というようなことになっています。経済的なところの価値を持ちながらも、そういうプラスアルファの価値をどう見出すか、ということが私は問題のような気がします。

私達の生活というのは経済中心で動いているところがあるんですけど、現実っていうのは経済だけじゃないよね、っていうところも考えていかなければいけないかなと思っているんですけどね。

だからと言って、昔の生活に戻すことは出来ないですよね。

「これからは石油ないねんから、みんな薪で飯炊け」って言ったって、それは不可能に近いと思います。

そんな中でも、一部でそういう人達が出てきている。薪ストーブの流行だったりとか、再生エネルギーとしての森を見直す、というようなことは一部で出てきていると思います。


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○繋がり直す場所がボランティア

ボランティアのところのお話しをすると、ボランティアという言葉が一番注目されたのは阪神淡路大震災の後だと思うんです。大震災が起こって、ボランティアが注目される。それは、繋がりたい、ということですよね。

今の時代、どこかでみんなが孤立していて、そういう中でもう一回、人が繋がり直す場所がいろいなボランティアなのかもしれないな、というようなことはちょっと思っています。

ボランティアの団体でやっていると、いろんな職種のいろんな年代の人が集まってきます。普段では接する事がないような方達が来られるわけですよ。それがまた楽しい。

本来、山の仕事って汚いとかキツイとかいろいろあると思うんですけど、そうやって人が繋がると、それをみんな嬉々としてやっているわけですよね。

もちろん、ノルマがないっていうのもありますが。

そういうことを楽しめる人たちは以前よりもちょっと増えたかなと思います。

ボランティアのあり方として、もちろん二酸化炭素の問題なども考えてなければいけませんが、まずは自分達が楽しくなかったら駄目かなと思います。それが自己満足だけに終わってしまっていると、それも問題があるので、そこのところも考えないといけないと思いますけれども。


能口:私も里山の活動を何年間か続けていますが、その中で、先ほど言われたように、いろんな立場の方が集まって、その作業に関わるときはひとつのコミュニティーのような形になる。

地縁で結ばれている中で山の管理をしていた感覚とは違う、ある目的を持って集まったコミュニティーとしての機能がボランティアにはあって、それによって管理されていくものというのは、経済的な背景でつくられた森ではなくて、どちらかと言うと、これからの環境のための森ですね。そういった森に対しては、ボランティアの力っていうのが非常に期待されているのかなと思うんですけれども。

その活動の中に、楽しみですとか、暮しに関わるものが出来れば、それが一番いいですよね。

そういった仕事を求める若い方もたくさん出てくると思いますし、森林が身近にある環境で、新たなビジネスであったり、暮しを実現できるような人たちがこれから出てくるんだろうな、というふうに感じています。

この辺が、森の持っているポテンシャルというか、価値なんじゃないかなというふうに思っています。今までの木を育てて木材を売ろう、ということよりも森林についての価値の幅が広がったんじゃないかなと思います。

森林のボランティアに関わる人も多様で、いろんな価値で集まって来られているのを最近特に感じます。


○身近な森の価値

山崎:価値観自体が転換期に来ている傾向はあると思っています。

それは、ちょっと昔は、例えばカラーテレビや車を持っていることが幸せの基準になっていて、それ持っていたらそこそこの生活をしていてうれしいな、みたいな幸福感がどっかにあったんですけど、今はもうある程度のレベルに来てしまって、物を持っているから幸せ、っていうふうにはなかなかならない。

みんな適当に金持ちに、金がある程度廻るようになったために、今は不景気で不幸だ、と思ってしまうとそれは違うんじゃないかなと思います。

1970年代に、チープに暮らしてても頭のところでは地球規模でものを考えて、っていう時代がありました。それがやっと、最近になって現実に起こってきたかなと思います。

最近出会った若い人たちの中にも、農業などをやりながら、そこそこの暮しができればいい。いろんな人と繋がって、いろんな人と一緒に楽しくやりたい、というような若い人もちょっとずつ出てきている。

例えば、ボランティアをきっかけに田舎へもう移り住んだりするような人たちが、だんだん増えてきているということですね。林業にちょっと足を踏み入れたい、と思っている若い人たちもちょっとずつ出てきている。

その人たちが全部定着しているかと言えば、そうとは思わないですが、そういう人たちは出てきている。それで大儲けしようとは、皆さん考えていない。でも、生活は成り立たせよう、とはもちろん皆さんされているわけです。このような傾向はかなり出ているとは思います。


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能口:森という言葉のイメージですが、木材の生産に関わっている人にすれば、森のイメージは人工林。案外、天然林とか原生林の森を森だとメージする人が少なかった、という話を聞いた事があります。きれいな、美しい森っていうのはどういう森か絵に描いてください、というと、みんなあまり描けない。整然と木が並んでいるもの、北山杉の山を描いた人がいるとか、そういう話を聞いたりします。

新しく森に関わる仕事をしたい、ということで相談を受けたりすることがあるんですけれども、森とどういう関わり方をしたいのか、その方がイメージしている森がどういうものか、いろいろお聞きすると、森の現状をあまり理解されないまま、一次産業、農業と林業とかというくくりで、選択肢としている方が、非常に多くいらっしゃる。

この間も、森に関する仕事に就きたい方の相談を受けている、大阪のハローワークの民間版みたいなところで話をしたんですが、皆さん様々なですね。森林を守る仕事がしたい、ということで環境に関係する仕事として森をフィールドとして選んでいる。

また、林産、林業に関わりたいということで、森林組合に就職したいという方もいます。ただ、聞いてみると、そこでどういう仕事をしているかという情報はなくて、何か今後、森というものに可能性があるんじゃないかなと思う、ということでなんですね。

山崎さんは、これからの森、っていうことをどのようにお考えですか?


○植えたところは責任もたないと

山崎:ひとつはヒステリックにですね、人工林ダメ、って言うグループが一部にあります。例えば、うちのボランティア協会なんかでもそうですけど、来られる方は人工林の手入れよりも植林がしたい、どんぐり植えたい、という人が非常に多いんですよね。それはそれでいいですけど、誰が山の木で家を作るの、っていうこともあるわけで、人工林を悪者にするのは違うやろなと。それはバランスの問題ですね。

確かに拡大造林のなかで、ちょっとこんなところ無理やろ、っていうところまで造林されている場所もある。それを伐った後、ほんまに次植林できるの、って言ったら、もうやめとこか、みたいなところはいっぱいありますから。そういうところは自然林に戻していくってことも、もちろん必要だと思います。

一方、例えば、私が気に入っているフィールドのひとつにですね、人工林で山菜採りに行く場所があります。ちゃんと間伐をされて手入れをされてる山では、中に木の芽などがいっぱいあるわけです。適当に上手く伐られているもんですから、あまり背が高くなくて手が届く。植えてから70年80年経っているようなところでは、木と木の間隔は広いので、その間に日がさして、いろんなものがそこに出ています。こんな楽しいところはない。ところが、今の若い林は植えたら植えっぱなし。

私、一回、奈良で道に迷ったことがあって、なんとか突き抜けようとしたんですが、かなり密に植えてあって、枝打ちもしていないので、枯れた枝が横に出ていて中を突き抜けることができない。その森に入れない、というような山もあったわけでね、とにかく植えっぱなし、それもかなりの密に植えっぱなしですね。やっぱり、植えたものは責任持たないといけない。

でも、それが経済的な価値だけで判断されてしまうのでほったらかしにされてしまう。経済でものを見ることも大事だと思うんですけど、経済だけではない価値っていうものをどうやって見出すかっていうことが、ひとつは森の再生に関わるのかな、というふうに思っているんですけどね。


能口:一言で人工林という話ではなく、人が植えたということで、やはり人が最後まで責任を持って関わり続けている森は、すごく気持ちのいい森になるですけども、どこかでそれをやめてしまった時に、また違う問題がいろいろと出てくる。そういった面を見るか、目標としてこれから作っていく森をイメージするかによって、話の論点が違ってきたりするわけですけれども。

例えば、戦後の拡大造林って、いっときに植えて、いっときに成長して、今使える状況になった。そういった中で、そういう木材資源があるわけですから、上手く使うことをすべきだと思うんですよね。

そういった資源利用っていうのは、これからに重要になってくると思いますし、木材生産だけではなくて、その木材を使うことで他のCO2の排出を抑えられる、といった持続可能な資源としても、森林をもっと広い視野で、より多くの人が関われるようなものに作り上げていくべきなんだろうなと思っているんですけれども。やはり、人が関わるにはそういった経済的なことと、プラスアルファのそういった魅力であったり、それを受け入れる体勢も必要ですね。

特に、中山間地域のこれからの産業として、そういった木材生産とは別の森の魅力、っていうものが、今後の地域の再生につながっていくんじゃないかなと思うんです。

人口減少になって、そこに住む人もいなくなって、産業も成り立たない。そういった場所にも森林の資源っていうのは必ずあるわけですから、そういったものをいかに使うか。

一次産業の六次産業化、って言いますけれども、林業は農業よりもちょっと遅れて進んでいるのかな、と思っています。


山崎:林業の特殊性はありますよね。植えてもその年に結論が出ない。結論が出るのは次の代、あるいは3代先くらい。だから、今、林業家としていらっしゃるところは、大体3代目とかね。ですから、どういうふうに先を見ていくかというところが難しいですよね。


能口:新たに林業を始めたいんですけど、と言われると困るんですよね。


山崎:農業のような新規林業就業支援、っていうのは聞いたことがないですね。それが出来る状況は、どこにもないですよね。


能口:一方で、森林所有者が森林を管理できなくて自分で所有することをやめて、公的なところへお願いしたい、というような話を聞いたりもするんですね。

管理を続けていくためには、誰かに繋いでいかないとだめなわけですが、森の魅力という面での活用の仕方っていうもので、森を管理していくような方法ができれば、すごく面白いんじゃないかと思うんですけど。


○プラスアルファで森を活かす

山崎:特用林産物ってありますが、それは森の中のプラスアルファですよね。そのプラスアルファをみいだして、そういうものを仕事の中にどう含めていくか、ということもあると思います。そういう意味では、山に資源は、実はまだまだあるやろと。例えば、徳島県上勝町の葉っぱビジネスというのも、ええところに目をつけてるなぁ、と思うわけですけれど。あれは特殊な例にしても、資源はもっといっぱいあると思うんですよね。だけど、それが活かしきれてない、というところはあると思います。

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能口:それを活かすためには、森が暮らしに関わっていたころの知恵や情報を、今のニーズにどう合わせるか、ということだと思うんですけれども。そういう意味で今後、森が身近にあるところに舞台が進んで行って、森とともに生きていくようなライフスタイルっていうものをが出来てくるんだと思いますが。そのあたりは、山崎さんはどうお考えですか?


山崎:そういうものに近づきたい、というふうに思っています。それを求めていると、お金ではない豊かな生活が待っている。農業もどっかで一緒だと思うんですけど、土作りから始まって、野菜とか作っているとですね、どう考えても買った方が安いと思うんです。だけど、食べた時の感覚は、もう全く違う。それは、新鮮でおいしい、というだけではなくて、プラスアルファの価値がそこには生じているわけですよね。

それは、山の中歩き回って探してきたキノコのおいしさなどでも感じられます。

やっぱり旬のものしか食べられないわけですから、その旬を食べるっていうことの喜びであったり、季節感、季節と一緒に生きているっていう楽しさだったり、というところですね。


○森をつなぐ

能口:僕は木材コーディネーターとして森に関わる場合、何代も前の方が植えたものに対して、今の時点での木材の利用について考えたりするわけです。そのときに、これ使うことが次の森作りにつながる、というようなものがあれば、それは仕事として関わっていても気持ちがいいし、その先の夢がある。そういった林業としての夢の部分ですね。

何代も前からの意思がずっとつながって、人工林っていうのは管理されてきているもので、それをいかに上手く使うというのは、そういった植えた人の想いと森作りっていうのを繋げていくことだと思っているんですけれども。ずっと繋いでいったり残していったり、というのものを考えっていろんなことに共通していると思います。

目先のことではなくて次の代に残すこと、というのは、経済だけの基準の暮し方とは別の、今から必要とされる暮らし方ですよね。次の世代にはどうするんだ、っていうようなことも考えた暮らし方が求められているんだと思いますね。


山崎:時代の価値観もそういうふうに、ちょっと変わってきていると思いますね。というのは、今の世代がよかったらいい、というのではなくて、後世まで責任持ちなさい、っていうのが今の考え方ですから。例えば、それはもともと田舎にはあったんですよね。それは、家を継ぐ、家を守る、という言い方でいいと思うんですけど。

昔の人間は、とにかく田畑をどう次の世代へ、あるいは山も含めて渡していくかってことが中心になっていたはずなんですけれど、そういうものがちょっと途切れかけている。だけども、その価値観っていうのは本当は、未来に責任を持つことですよね。孫子の代にどう責任を持って今を生きて行くか、っていうことなわけで。そういうものに、ちょっと帰っているところはあると思うんですよね。地球環境の話するときは、そうですよね。

地球温暖化でホンマにダメになるのは俺死んでからやけど、その先まで責任持て、っていう時代に今はなっているし、皆さんもそのことにウンと頷くような時代になってきている。本当に貧乏な時代、生活が一杯いっぱいっていう時代にはそこまで考えられなかった。今はもうちょっと、未来への責任を今生きている人間がどうとるか、っていうようなことが問題になっている。それと同じように、森を繋いでいくことも、本当は同じような場所にあると思うんですけど、どっか切り離して考えてしまっているっていうのはあると思いますね。


能口:身近な森があるっていうのは、そういうことを普通に実感できる場所に住んでいる、森に入ったときにそういうことを考えるチャンスがある、ということだと思うんですよね。森作りや林業に関わったりするときにそういうことを感じますし、特に大きな木を伐った後などはそういう考えに自然となるんですよね。

世界中でいろんな天然林の伐採をどんどん規制していって、二次林って言われる人工林をうまく使っていこう、という流れが出てくるわけですけど、今あるものをいかに上手く使っていくかってことを求められている時代だと思います。

それは、それぞれの地域で、身近な森から得られるものをうまく使っていく。

それが、その地域ごとに完結するようなことであれば、ほんとにその地域が守られて行くんだろうなと思うんですね。


山崎:エネルギー政策も、そういうところに入ってきつつあるとは思いますね。


能口:そういう意味では、森というのは暮らし方、生き方っていうものを実感出来る場所ですので、森に入ることを禁止してはいけないなと思います。

今日はいろいろと権利関係がある山へ上がりましたけれども、その地域に住んでるとか、都市部で住んでる方、関係なく自分達の身近な森と呼べるところを持つ、ということがこれから必要なんじゃないかと思うんですね。距離的な問題というよりは、自分達がすぐそこで活動が出来る森、というものをいかに作り出せるか。それが次の代へ繋げることが出来る、ひとつの方策になるだろうなというふうに思います。

その地域の人間だけでは、それはなかなか難しい状況になってくると思いますので、そういった面も踏まえて、より多くの人が森へ関われる仕組み作りっていうものが非常に大切だなと思ってます。


山崎:北欧とかではですね、自然教授権、というものがあるんですよね。誰が、個人の山であろうと、どこにはいってもいい。木を伐ったりとか、荒らしてはもちろんいけないんですけど、基本的には、ベリー類をつんだりキノコをとったり、というのは自由に出来る。そういうものは日本にはないですよね。

個人の山は入ってはいけないもの、というようなところがどっかにあって、それをどっかで上手く乗り越えないと、ひょっとするとこれからの社会の中では大変になってくるかもしれなと思います。実は、自然教授権は法律で定められているわけではないんですね。日本でそれをやったら、きっと荒らされて、山菜の木がなくなってたりしそうやなぁ、と言っているんですけれど。でも、そんなことが考えられたらいいなっていうふうには思いますね。


能口:あと、森の楽しみ方っていうんですかね、山崎さんがいま森で楽しんでいることは何ですか?


○野遊び研究家

山崎:ひとつは食べることですわ、なんと言っても。山菜、きのこ始めいろんなもの、鹿も食べますけど。いろんなものが山で手に入る、極端に言うと。

なんでこんなん知らんの、こんなおいしいものなんで見逃すの、っていうものが結構いっぱいあって、そこから抜け出せないですよね、一回その味を覚えてしまうと。

だから、私は勝手に「野遊び研究家」と名乗っているんです。遊ぶっていうことの中に食べることも入っていると思っていて、一部の人間は、お前は野荒し研究家だ、と、すぐキノコでも山菜でも採ってまうやないかと。でも、絶滅するほどは採らないつもりでいるんですけどね。それが私にとっては、今のところ一番大きいですね。

能口さんとは、食べれる山作ろうよ、というふうなことをは言っているんです。だから、人工林の考え方もいろんな人工林があってもいいと思っていてるんですが、今は、どんぐり植える、みたいな傾向になっているので、もっと違う発想もほしいなと思ったりしてます。


能口:これからNPO法人サウンドウッズでいろんな方面の方々にいろんな森の魅力をお話いただいて、それを紹介していくイベントを企画していく予定なのですが、今の時代だからこそ、いろいろと森の魅力を作り出していけるんじゃないかと思っているんです。

第一回目として山崎さんに来ていただいて、森を食べる、ということでいろいろとお話いただいたんですけれども、身近な森っていうのは、今後一般の方にとってはどういう役割を果たしてべきだと思いますか?


山崎:森の癒し効果なども盛んに言われているので、フィットネスジムのベルトの上を走っているような人をなんとか山へ連れて行きたい、と思っているんです。ボランティアに入って木を伐った人たちは、一様にある種の快感を感じはるんです。木を伐ったりしているわけですから、命を貰っているんですけど、狩猟本能と一緒で、そういうことの快感っていうのは必ずあるわけですよね。かなり本能的な部分があると思うんですよ。

森はそういうものが開放される場でもあると思います。

一時の環境保全の中では、葉っぱ一枚採ってはいけない、っていうようなことがあったわけですけど、今はそれが少し変わってきた。里山ってことの言葉が出てきたのもそうだと思いますけども、人が入る事によって豊かさが保てるというようなことも判ってきたわけですから。だからこそ、森へ入ると楽しい、気持ちよくなれる、ということをもっとみんなに知ってもらいたいと思いますね。


能口:COP10(生物多様性条約第10回目締約国会議)でも、里山を国際的に広めていこう、という話がありました。里山っていうのは、林業であったり林産物を使うための森であったり、人々の癒しの場であるとか、自然と対峙する場であるんですね。そういったいろんな機能を持った森を、身近に持ってもらうことが大事ですね。

環境保全のほうへの道というのも、完全に保護してしまうのではなくて、みんなが上手く関わりながら全体のことを考える。長い時間軸のなかで、これから将来のことをどう考えていくか、ということがあると思うので、これを里山の活動が盛んなこの地域でもどんどん広めていく動きっていうものが必要だと思うんですね。


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○森の中で生きるようにできている

山崎:難しいのは、里山林の手入れは、一回手を付けたら継続的にそのことをやっていかないと、逆に意味がないわけです。そのために、次の世代へどう繋ぐかっていうようなことも大きな課題になっていています。

一方で、ボランティアの傾向では、リタイヤしてきた人が多い。若い人は少ないですけど、そうのを楽しむ人が出てきているのも事実ですから、そんなに捨てたもんではないと思っているんですけどね。


能口:この5年くらいの間に大きく変わってきたかなと。始めは団塊の世代の方が中心だった。そこに若い世代の方、30代くらいの方が割合的に多くなってきて、そういう活動をはじめている、っていうのは明るい話かなと思いますね。


山崎:森と人との関係ということで思うのは、人類が生まれてから、森から離れて暮らした、あるいは、自然から離れて暮らした、っていうのは、ここ100年くらいの問題でしょ、極端に言えば。そういうことからいくと、何十万年という人類の歴史の中で、こんなに森と付き合わなかった時代はなかった。

本来森の中で生きるように人間ってどっか出来上がっているはずやって、私なんか思っているんです。森の中で生きてた時代の感覚っていうのは、体に染み付いているんとちゃうかな、と思うんですけど。だから、森を教育の場として使うというようなことも考えないといけないなあ、といようなことも思っているですけれども。

里山保育っていう言葉まで出てきていて、保育の世界の中でも里山保育っていうのがちょっと流行っているんですね。言葉が一人歩きしている、っていうところがないわけではないんですけど。そういうふうなことが言われている、っていうのは、やはり子供達にとってもそういうものが大事だと、ということになっていると思うんですけどね。

能口:今日はありがとうございました

山崎:ありがとうございました